般若心経カクカクしかじか

般若心経カクカクしかじか - 般若心経とは

般若心経とは

般若心経(はんにゃしんぎょう)とは、「空(くう)」の思想を説いた仏教の経典の1つです。 わずか 300字足らずという仏教経典の中でも非常に短いものですが、 大乗仏教の心髄が説かれていると言われています。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)、 摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)、 般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)とも言います。 略して、心経(しんぎょう)とだけ言う場合もあります。
1~3世紀頃のインドで生まれ、玄奘三蔵が漢訳したとされていますが、 諸説があって定かではないようです。
日本では仏教の宗派を問わず広く唱えられ、日本神道、修験道でも唱えられます。
口に出して唱える読経のほかに、文字を書き写す写経としても使われています。

般若心経の原典の原典というと、古代インドで作られた「大般若波羅蜜多経」で、 これは600巻にもわたる長いものであり、サンスクリット(梵語)で書かれています。 この中から抜粋し、これに陀羅尼(仏教の呪文)を付け加えたものが「般若心経」です。
これを漢文に訳したのが、あの「西遊記」で有名な玄奘三蔵(三蔵法師)で、 われわれが現在「般若心経」として唱えているのがこれです。

般若心経 詳細

では「般若心経」という名称自体をワードごとに解釈してみましょう。

まず、もっとも短い言い方「心経」について。
「心」は心臓を表し、そこから大切なもの、精髄、神髄という意味になります。
よって、「心経」とは 神髄のお経 という意味になるでしょう。

次に、「般若」について。
「般若」は一言で言うと、智慧を意味します。悟り/真理を得るための智慧です。
よって、「般若心経」とは 悟りの智慧を説いた神髄のお経 という意味になるでしょう。

ちょっと横道・・・。
般若と言って最初に思い浮かぶのは「般若の面」ではないでしょうか? あの 2本角の鬼女の能面です。女性の憤怒・嫉妬を表しているそうです。 これは般若坊と自称した能面師が作ったので「般若面」というそうです。 「般若心経」とはまったく関係ありません。

次に、「波羅蜜多」について。
波羅蜜多=波羅蜜 であり、悟りの境地に達すること、またはその修行/実践徳目のことです。
よって「般若波羅蜜多心経」とは 悟りの智慧と実践を説いた神髄のお経 という意味になるでしょうか。

ふたたび横道・・・。
菩薩(=菩提薩埵:悟りを求める人) が悟りを得るために修めなければならない 6つの実践徳目を 「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といいます。以下、Fresh eye ぺディア より。

6つ目の智慧波羅蜜が所謂「般若波羅蜜」です。
六波羅蜜にさらに、方便・願・力・智の 4つを加えたものを「十波羅蜜(じゅうはらみつ)」といいます。

最後に、「摩訶」について。
「摩訶」は、優れていること、大きいこと、偉大なこと、を意味します。 後に続く語を賛美・強調するのに使われます。摩訶不思議などと使われますよね。
よって、「摩訶般若波羅蜜多心経」とは 悟りの智慧を説いた偉大なる神髄のお経 という意味になるでしょうか。

先頭に「仏説」と付ける場合もありますが、仏教以外では付けないので省略します。 ちなみに「仏説」とは、仏が説いた教え、という意味になります。

般若心経

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄  舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是  舍利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減  是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界  無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故  菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃  三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提  故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経